生徒の優勝から、コーチとしての再会へ
忘れられない瞬間はありますか
神戸市の大会で、初めて生徒が優勝したときですね。
その直前のレッスンが、たまたま人数の少ない日だったんです。これはもう練習するしかないと思って、その日は少し厳しめにやりました。そうしたら優勝して、帰ってきて「あの練習のおかげで、相手が全然怖くなくなったわ」と言ってくれて。あのときは嬉しかったですね。
そういう子たちが、今はコーチとして戻ってきてくれています。すごいサイクルができてきたなと思っています。この前もスカイで同窓会というイベントをやりましたし、もう働いている卒業生が休みの日にふらっと顔を出して、近況報告をしていってくれることも結構あるんです。
7年のブランクから、コーチになったのはなぜですか
結婚を機に、勤めていた信用金庫を辞めて関西に戻りました。出産もあって、7年くらいテニスをやっていない時期があります。
再開したきっかけは、健康のためです。これはやばいなと思って、近くのソフトテニススクールに習いに行き始めました。毎月1万円以上払って教えてもらっていたんですが、通ううちに「これは自分でもできるんじゃないか」と思ってしまって。どうせお金を払うなら、教える側になればお金をもらえるうえにテニスもできる。いいことずくめやなあ、と。
それで、たまたま近くにITCがあったので受けてみたら、通りました。
受けに行ったときの私は、7年テニスから離れていた人間です。学生時代に競技で目立った成績を残したわけでもありません。それでも通りました。ソフトテニスを始めたのも、日体大に行ったのも、信用金庫に入ったのも、コーチになったのも、全部が偶然です。自分で計画してここまで来た感覚は、正直まったくありません。
偶然が重なって、今の仕事へ
ソフトテニスとの出会いから教えてください
中学では硬式テニスをしていましたが、ソフトテニス部の顧問の先生に何度も誘われ、中学3年からソフトテニスを始めました。中高一貫の学校だったので、そのまま高校でも続けることになって。
高校を引退したときも、先生に「日体大を受けてみろ」と言われたのがきっかけです。「98%落ちる」と言われていたので、受けるだけならいいか、くらいの気持ちだったんですが、受かってしまって。受かったので、行くしかなくなりました。

大学と実業団では、どんな経験をしましたか
大学は上下関係の厳しい寮生活で、毎日を乗り切ることに頭が向いてしまい、競技の成績は残せませんでした。ただ、あの4年間で負けず嫌いには磨きがかかりました。今、中高生を相手にしていて折れないのは、あそこで鍛えられたからだと思っています。
卒業後は、寮で同じ部屋だった先輩に声をかけてもらい、ソフトテニスのチームがある信用金庫へ入りました。窓口の仕事は分からないことばかりで、隣の窓口の同期と励まし合いながら、5年ほど働きました。
生徒と、自分の試合と、家族
コーチの仕事のリアルを教えてください
入り口はアルバイトでした。そこから契約社員に変わったタイミングで、担当する施設が増えていった形です。いきなり全部を任されたわけではありません。
今は曜日によって行く事業所が変わります。夕方から行ってレッスンを2つして帰る日もあれば、朝からフロントに入って夕方にレッスンをして終わる日もあって、日によってかなり違いますね。土曜日はレッスンが4つあるので、4つやって帰ります。担当は中学生が中心で、高校生も受け持っています。硬式のレッスンは一切やりません。
最初に難しいと思ったのは、自分が経験してきた世界との違いです。私はめちゃめちゃ体育会系の中でやってきたので、「それとは違うぞ」というところから教わりました。競技で積み上げてきたものが、そのまま使えるわけではないんです。そうじゃないところからスタートして、どうやったら楽しくできるのかを考える。でも、うまくもしてあげないといけない。このバランスが難しいなと思いながら始めました。
しんどいのは、担当する事業所が変わったときです。新しい生徒にすぐには受け入れてもらえません。最初はなめてかかられていると思います。「このおばちゃん誰やねん」くらいの感じで。それは、しばらく悩みます。
でも、一緒にテニスをしているうちに、こっちも「負けへんわ」となって打ち合うんです。そうすると「あれ?」という顔をして、見る目が徐々に変わってきます。それが分かるので、焦らずやるようにしています。
中高生との距離の縮め方は、とにかく喋ることですね。ざっくばらんに、こっちから喋り倒す。あとは、バカなふりをしてバカをする。そうしたら一緒にやってくれます。年頃の子たちの輪に途中から入っていくのは、それくらいでちょうどいいと思っています。
保護者の方とは、来られていたら必ず一声かけるようにしています。「今日どうやった」「今日は調子よかったですよ」と、その日の一言を必ず。フロントにも立っているので、「これはフロントに聞く、これはコーチに聞く」という境目がないんです。テニスのことも、スクール全体のことも聞いてもらいやすくて、フロントをやっているからこそ築ける関係だなと感じています。

教えながら、自分も選手でいることについて聞かせてください
私は入社したときから、先輩コーチとずっと2人でレッスンに入っていました。レッスンの回し方、保護者の対応、体験の対応の仕方を、まず最初に学ばせてもらった人です。すごさは何かと聞かれたら、喋りの瞬発力ですね。同じになろうとは思いませんでしたけれど。その後に学んだのは、ここぞという時にその子にがっつり教える、その見極めの部分です。この仕事に必要なものは、競技の実績ではなく、こういうところで身につけていくものだと思います。
その先輩コーチとペアを組んで、今年、会社から全日本大会に出させてもらいました。いきなりそこへ出たわけではありません。それまでにも小さい試合に出ながら、ずっと準備をしてきました。7年離れていた人間が、また試合に出られるところまで戻るのに、それだけの時間がかかったということです。自分で勝手に出たわけではなく、出させてもらえる会社だった、というのも大きいと思います。
試合に出ていると、生徒が「コーチ、次の試合いつ?」と今でもずっと聞いてきてくれます。地元の会場だと、生徒の試合とたまたま一緒になることもあって、保護者の方も含めて、めっちゃみんな見てくれています。教えるだけでなく自分も選手であることが、生徒の関心にもつながっているんだなと感じますね。
自分の子どもたちも応援してくれます。会場が遠くて来られない試合でも手紙をくれたり、試合の前にお守りみたいなものを渡してくれたり。インスタや施設のホームページに親が載っているのを見て喜んでいるみたいです。絶対に検索するんですよ。
女性だから、と特別に意識したことはあまりありません。ただ、中学生も高校生も、力技で来る男子が相手です。高校生は今のところ全員男子で、パワーが凄まじい。だからこそ、女だから負けるというのは、私の中ではありえないんです。それを言い訳に負けないようにすることは、普段から心がけています。
子育てとの両立は、もちろん簡単ではありません。それでも働き方に配慮してもらえていて、そこはありがたいと感じています。家族の支えがないと成り立たないので、みんなで分担しながらやっています。
これからのソフトテニスを考える
これから挑戦したいことは何ですか
日本一になることです。これには2つ意味があります。
1つは、競技者としての自分が日本一になること。5年10年でいけるかは分かりませんが、必ずどこかのタイミングで取ります。
もう1つは、「ソフトテニスといえばあそこだよね」と言われる存在になることです。認知度をもっと広げていかないといけないと思っています。
それと、新しいソフトテニスの形をつくりたいという目標があります。今、学校の部活がなくなってきています。ソフトテニスはこれまで部活とほぼイコールで、総体や新人戦といった大会を目標にする競技でした。でも、正式な試合じゃなくたっていいじゃないかと思うんです。中学や高校で引退したら終わり、ではなくしたい。もっと生涯スポーツ的な要素を取り入れて、日常的に気軽にできる環境をつくりたいんです。
あそこに行けばテニスもできるし、進学の情報も、試合に出るための情報も、用品も揃っている。ソフトテニスのことはそこへ行けば分かる、という場所をつくりたい。ソフトテニス界全体が、続けてくれる人が少なくなるという問題に直面しているので、その対策にもなりますし、うちのスクールの今後にも関わってくる話だと思って考えています。
具体的な中身は、まだ秘密です。自分の中で形にできていない段階なので。
最後に、この仕事を考えている人へメッセージをお願いします
実際にあった話をします。学校に行けていなかった生徒が、ソフトテニスは楽しいと言って通い続けてくれて、そこから学校に行けるようになったことがありました。その後、進学先のソフトテニス部で大会に出たよ、と報告に来てくれたんです。
私は中3で始めて、辞めるタイミングが分からないまま続けて、7年離れて、また戻ってきました。計画的にキャリアを積んできた人間ではありません。それでも、今は日本一を本気で目指せています。この仕事に入ってから、目指せるようになったんです。
中学生や高校生に関わるということは、その子の人生を変えるきっかけになるかもしれない、ということだと思っています。そういうものに携われるチャンスがある職業は、すごく面白いですよ。


