「また明日ね」と言ってもらえる

この仕事をしていて、一番うれしいのはどんなときですか?

一番うれしいのは、生徒さんから「楽しかった」「いい汗かいたわ」「また明日ね」と言ってもらえることです。ジュニアから「試合に勝った」「教わったショットが通用した」と報告をもらうこともあります。僕の試合を岡山や北海道まで応援しに来てくださる方もいて、本当に距離の近いクラブだと感じます。ジュニアにとっては、何かあれば帰ってこられる「第二の家」のような場所なのかもしれません。

テニスコーチという道を意識したのは、いつごろですか?

原点は、地元・和歌山のスクールでお世話になったコーチです。僕はテニスによって人生が変わったと思っていますし、テニスを続けてきてよかったと心から思っています。そう思えるのは、あの人がいたからなんです。

今度は自分が、誰かにとってそんな存在になりたい。テニスの楽しさを伝えられる人を一人でも増やしたい。それが、この仕事を志した一番大きな理由です。

10歳でテニスを始め、高校では和歌山を離れて福岡で寮生活を送り、大学でも4年間、部活動を続けました。よく「ペンよりラケットを握ってきた人間」と話しています。

営業職を経て、コーチの道へ

なぜ、最初は一般企業に就職したのですか?

就職活動の時期がちょうどコロナ禍で、希望していたテニスメーカーは募集がほとんどありませんでした。コーチになろうと恩師に相談すると、「まずは一般企業で社会を経験した方がいいんじゃないか」と言われたんです。僕も納得し、地元で営業職に就きました。

営業の約3年間は、とても充実していました。どうすれば相手に話を聞いてもらえるかを自分なりに考え、勉強する。うまくいったときは、自分に向いている仕事だと思えました。人と話し、足で動く仕事だったからこそ、得られた経験もあります。

それでも25歳になり、これから先を考えたときに「本当にやりたかったことは何だろう」と思ったんです。浮かんだのは、やはりテニスコーチでした。動けるうちに挑戦したいと決め、退職を伝えました。上司にはかなり引き止められましたが、最後は「そこまで思っているなら、頑張ってほしい」と送り出してもらいました。

新出 海斗さんの仕事風景

転職先にC'sを選んだ理由を教えてください

受けたのはC'sの1社だけです。

関西の大会で対戦相手から「和歌山やん、ラッキー」と言われたことがあり、ずっと悔しさが残っていました。いつか和歌山のジュニアを盛り上げたい、強くしたい。ただ、当時は和歌山でコーチをするための土台がまだできていないとも感じていました。

C'sは和歌山から近く、ジュニア育成にも力を入れています。子どもの頃から名前を知っていたクラブでもあり、和歌山とのつながりを保ちながら、強いジュニアが育つ現場に立てる。自分の中で条件が重なったんです。

採用ページの番号に自分で電話をかけ、「就職したいんですけど」と伝えました。面接で聞かれたのは、条件よりも「ここで働くなら何がしたいのか」。実技には自信がありましたが、その自信が入社後、かえって自分の壁になりました。

教えること、運営すること

入社してから、一番つまずいたことは何でしたか?

入社直後はサブコーチとして、とにかく生徒さんに話しかけました。テニスを教える前に、まず自分という人間を覚えてもらおうと思ったんです。初めてメインで担当したレッスンは、今でも時間とクラスを覚えています。終わってすぐに謝りに行くほど必死でした。

本当につまずいたのは、そのあとです。僕はジュニア選手として育ってきたので、その基準のまま一般の大人のクラスを教えてしまいました。「難しいわ。こんなん誰ができるん」と言われて、担当クラスの人数も減りました。生徒さんの力量を見ず、自分の理想を追いかけて説明していたんです。

それでも最初は、先輩に聞けませんでした。長くテニスを続けてきた自分を見せなければ、という勝手な思い込みとプライドがあったからです。

でも、このままでは駄目だと思ったときに、ようやく気づきました。

「僕はテニスをやってきたけど、テニスコーチはやってきていないんだ」

そこからは、支配人や先輩コーチに「どうしていますか」と聞けるようになりました。練習に付き合ってもらい、レッスンの進め方を教わり、今も他のコーチの時間配分や説明の仕方を見て学んでいます。自分なら感覚でできることを細かく分解し、限られた時間で分かりやすく伝える。それが、コーチの難しさです。

レッスン以外の仕事と、休みの日の過ごし方を教えてください

レッスンのほかに、事務作業や清掃、会議などがあります。担当はシフトによって異なりますが、休憩をはさんで夜のレッスンまで入る日もあれば、夕方以降のジュニアのレッスンを担当する日もあります。

休みの日は、和歌山でピックルボールのサークルに顔を出したり、5キロほど走ったり。じっとしていられない性分です。

新出 海斗さんの仕事風景

3年目でマネージャーに。仕事はどう変わりましたか?

今もコートに立ちながら、会議への出席、コーチやフロントとの調整、アルバイトコーチの募集などを担っています。

最初に打診されたときは、「無理です。僕は何も分かっていません」と断りました。当時は、トイレットペーパーの在庫も倉庫の鍵の場所も知らないほど、施設運営のことが分かっていなかったんです。それでも改めて話す機会をいただき、「やれと言われるならやります」と答えました。

一番変わったのは、立ち位置です。それまでは「どうしたらいいですか」と聞く側でしたが、今度はフロントやコーチに協力をお願いする側になりました。最初は本当に難しく、今も周りに助けてもらいながら取り組んでいます。

その中で形になったものの一つが、ピックルボールです。休日に参加している和歌山のサークルとC'sが協力し、クラブで体験会や大会を開きました。今はスクール開講に向けた準備も進んでいます。自分が楽しんでいたものがクラブの新しい取り組みになる。入社2、3年目でも、「これをやりたい」という声を聞いてもらえる会社だと感じています。

これから届けたいテニス

これから、ジュニアにどんなテニスを届けたいですか?

目標は、預かっているジュニア全員が、関西の大きな大会で本選に出られるようにすること。その先には、地元・和歌山のジュニアを強くしたいという思いもあります。

自分が育った頃と今とでは、伝わる言葉も、指導で大切にされることも違います。技術だけでなく、人としての成長をどう支えるかは、今も模索しています。ただ、一つだけはっきりしているのは、テニスを嫌いになってほしくないということです。「このショットが打てたから楽しい」。そんな経験を、できるだけ多く届けたいと思っています。

テニスコーチになるか迷っている人へ、メッセージをお願いします

まずは一回来て、現場を見てほしいです。経験してみないと分からないことがありますし、合っても合わなくても、その経験が次の道につながります。学生のアルバイトコーチも募集しています。僕自身、教え方は入社してから覚えたので、最初からできる必要はありません。

一般企業に就職するか、コーチになるかで迷っている人には、「やりたいと思っているなら、早く来た方がいい」と伝えたいです。営業職を経験してよかったという思いもあります。それでも今振り返ると、もっと早くコーチの世界に来てもよかったと思っています。