自分の経験で、相談に乗れる

この仕事をしていて、一番やりがいを感じるのはどんなときですか

自分のアドバイスで、お客さんが「できた」となった瞬間です。特に初級のクラスだと、ちょっとしたアドバイスだけで打てるようになることがあって。「ありがとう、コーチのおかげでこれが打てるようになった」と直接言ってもらえたときが、いま一番やりがいを感じます。

コーチになって変わったのは、お客様との距離感です。ずっと選手の世界にいたので、教える側とお客さんという関係でどう接すればいいのか、最初は分かりませんでした。それがだんだん感覚で掴めてきて、そこからレッスンが楽しくなりました。

もう一つは、進路の相談を受けることです。自分が通っていた中学生・高校生の選手育成コースを担当させてもらっているので、テニス以外の話もよくします。中学から高校への進路の話が、本当に多いんです。自分が進路でさんざん悩んだので、その経験で相談に乗ってあげられている。うっすら思い描いていたものの一部は、もう実現できているのかなと思います。

いま、自分と似た迷い方をしている中学生がいます。どうしても自分と重ねてしまって、一度環境を変えてみるという選択肢もあるぞ、と熱弁しているところです。どこまで響いているかは分かりません。選択肢があるということだけは伝えたので、あとは本人がテニスを頑張りたいと思えるかどうかですね。

進路の相談には、ご自身のどんな経験が生きていますか

小学2年生でテニスを始め、今働いているクラブの選手コースに通っていました。中学ではテニスから気持ちが離れ、学校へ行かない日も増えてしまいました。

父から一度親元を離れるように言われ、福岡へ行くことになりました。最初は嫌でしたが、柳川に集まる選手たちとの実力差を埋めるために、一年早い中学3年から行くことを選びました。

同級生が一人もいない寮生活で、あの一年が人生で一番しんどかったです。気を抜ける時間が一秒もありませんでした。高校1年のときに一度だけ、本当に辞めようかと思って親に相談しています。それでも、なんだかんだで4年間やりきりました。成績が出たわけではありません。全く強くなかった自分が、たまにメンバーを倒せるくらいまでは行けた。それだけです。

でも、絶対に無理だと思っていた場所に行って、実際にはどうにかなった。この経験が、いま中学生と進路の話をするときに、自分が持っている一番大きな材料になっています。父もいま、「本当に行かせてよかった」と言っています。

迷いながら選んだ、教える仕事

大学には行かず、二浪を経てコーチになったんですよね

高校を出たあと、大学で部活としてテニスをするつもりはありませんでした。テニスはもう十分やったなと思っていたし、本当にただの大学生がしたかったんです。スポーツ推薦で進む道もありましたが、使いませんでした。

高校卒業後は遊びに流されて勉強に身が入らず、二浪しました。二浪目に親から「一度お金を稼いでみろ」と言われ、もともと習っていたクラブでテニスコーチと、引っ越しのアルバイトを始めました。

自己嫌悪はありました。なんでここまでやらないんだろう、って。お金も無駄にしましたし、親には申し訳ないことをしたと思っています。要所要所で自分の弱さが出るんです。流されてしまう。それは自分でもよく分かっています。ただ結果的に、あの一年は自分にとって必要な一年でした。それは僕も親も思っていることです。

その間、ずっと自分の進路について考えていました。父の会社の、小さいころから仲良くしてもらっている方にも相談しましたし、中学のときの担任の先生にも、わざわざ会いに行って話をしました。将来の夢は特になかったんですけど、うっすら教育関係に就けたらいいなとは思っていたんです。もともと人と話すのが好きで、年下から相談されることが多かったので。

決め手は2つです。自分がやってきたものが一番生かせるのはテニスだったこと。そして、一年テニスを離れてみて、やっぱり自分はテニスが好きなんだと再認識したことです。ただ、テニスだけで決めたわけではありません。コーチをやっているうちに、ジュニアの育成なら教育という面も見えてくると気づいて、うっすら思っていたほうの希望と重なったんです。テニスと、人に何かを伝える仕事。その二つが同時に叶うのが、これでした。

いま担当しているクラスと、レッスン以外の時間について教えてください

メインで持っているのは、平日朝の一般クラスが4つです。それと、自分がもともと通っていた選手育成のコースに、ほぼメインに近い形で入っています。あとはいろんなクラスにアシスタントで入っています。

担当するレッスンは曜日によって違います。午前と午後にクラスを受け持つ日もあります。

そのあとに、僕たちがテニスをできる時間があります。コーチの人たちと打ったりして帰ります。自分がテニスをできるのは唯一そこなので、大事な時間です。事務の仕事もあって、ポップを作ったりもします。

高山 共生さんの仕事風景

教える側になってみて、難しかったことは何ですか

最初に一人でレッスンを持った日のことは、いまでも覚えています。まだアルバイトだった頃、アシスタントで入っていたクラスのメインコーチが、お子さんの熱で急に来られなくなって、ピンチヒッターで入りました。社員になってからやるものだと思っていたので、頭は真っ白です。初級のクラスでした。あの1レッスンのほうが、普段の7レッスンより何倍も疲れて、とんでもない疲労度だったことだけを覚えています。

難しいのは、言語化です。自分たちが何も考えずに当たり前にできていることで、つまずく方が多いんです。そこを言葉にするのに、すごく苦労しました。

面白いのは、得意なショットほど教えにくいことです。僕はバックが一番得意なんですけど、感覚でできてしまうので、どう教えればいいか分からない。逆にフォアやボレーは、自分が苦労して直してきた分、何がダメでどう直すといいかを言葉にしやすいんです。最近は、バックをどう教えるかで一番苦労しています。

分からないことは、先輩コーチに聞いています。聞けば必ず教えてくださるので、普段からずっと頼らせてもらっています。

一番落ち込んだのは、レッスンが円滑に回らなかったときです。人数に対してローテーションの回し方を自分の中で整理しきれていなくて、ぐちゃぐちゃになってしまって、お客さんにすごく嫌な顔をされました。あれはめちゃくちゃへこみました。

そのあとは、何人だったらどう回せば円滑に進むのかを、毎回予習してから入るようになりました。落ち込んだ日は、その日は引きずるんですけど、寝たら忘れます。起きたらすっと切り替えられるタイプです。ただ、切り替えるだけだと同じことを繰り返すので、準備だけはするようになりました。流されやすい自分と付き合う方法が、少しずつ分かってきた気がします。

この先、届けたいこと

これから、この会社でやってみたいことはありますか

会社全体のことは、まだそんなに見えていません。ただ、いまいるクラブの選手育成を、もっと自分がメインになってやっていければと思っています。いま担当している先輩がいて、いずれ自分がその立場に立つ想定なので、そのための勉強をしていかないといけないな、と。

やりたいのは、試合に出させてあげることです。いまのジュニアには、東京都や関東で戦える選手がいません。でも、そこに行ける素質を持っている子はいると思っています。もっと試合に出て、アプローチの仕方を変えれば、絶対に結果が出る形だと思うんです。そこを後押しできるようになりたいですね。

会社の印象ですか。人がいいな、と思います。社会経験が豊富なわけでも、知っている世界が広いわけでもないので一概には言えないんですけど、本当に人が良くて、仲がいい。この前の研修もすごく楽しかったです。何より、入って間もない自分が、分からないことを誰にでも聞ける。聞けば必ず教えてもらえる。それはたぶん、当たり前ではないんだろうなと思います。

最後に、進路に悩む人へメッセージをお願いします

テニスが好きなら、もってこいの仕事だと思います。好きなのであれば、やってみる価値はあるんじゃないでしょうか。

中学生や高校生に伝えたいことは、少し違います。無理かなと思うことでも、意外とその場に行けばやれるし、どうにでもなるんです。だから、挑戦してみることは無駄じゃないぞ、と。

僕自身がそうでした。13歳で福岡に行けと言われたときは、絶対に無理だと思っていました。実際、最初の一年は人生で一番しんどかった。それでも4年間やりきって、いまはあそこが帰る場所になっています。二浪した一年も、当時は自己嫌悪しかなかったのに、いま中学生の進路の相談に乗るときに一番役に立っています。

同年代よりは、はるかに考えるほうだと思います。あの一年で、いろんな人と話して、自分とも話して、そればかりやっていたので。回り道をした分だけ、話せることが増えました。